エネルギー切れ

年が明けてからすでに20日。
このところ眠りが浅く少しの物音で目が覚めてしまう。
熟睡できずできる限り長く寝ても朝目覚めると猛烈な眠気が襲ってくる。
眠い目をこすりながら仕事に行っても、ご飯を食べたあとは机に突っ伏してしまう。

学歴を問わず、いきいきとしていて自ら学び道を拓くような人をエリートと呼ぶのであれば、
彼らにあって自分にないのは「生命エネルギー」だろう。
学ぶ意欲は起きないし極力何もしたくない。
何かをしても中途半端に終わるのは目に見えているし、「また半端で終わらせてしまった」という気持ちを味わいたくはない。
かと言ってずっと続けたいと思えるものに出会えるとも思えない。
今までだっていくらか手は出してきた。インドアもアウトドアもやってみたつもりだが、長続きはしなかった。
仕事が終わってから、土日を利用して、空いた時間で、何かをやろうとしたって、疲れてしまって何もできなかった。
体力が切れて明日の仕事に差し支えれば、それが引き金となって、怒られたり、体を壊したりして仕事を続けられなくなってしまうという恐怖がある。
せめて仕事を最低限やるために、体力は温存しておきたかった。

自分はエリートにはなれない。
なりたいと思わない。
不夜城のような要塞で生活をかえりみず働くなんて御免だ。
しかしエリートにはなれない。
すぐ疲れてしまう。
生命エネルギーが極端に低いのだろう。
そして自分のような人を見ると同情してしまう。
どうしようも無い絶対的な弱さも、傍から見ればやる気がないと見られてしまう。
そんな人達がどれだけ苦しい思いをして生きているか、手に取るようにわかるからだ。
生きるエネルギーを少しずつなくしてしまった精神障害者だってそうだ。
彼らの痛みを知れば悲しい。

日々仕事をしながら、不満や怒りや不安に襲われて、少しずつエネルギーを失っていく。
それでも日々は待ってくれない。
休みたくても同調圧力が許してくれない。
そんな日々の中で摩耗して、最後にはエネルギーが尽きてしまう。
燃え尽き症候群ほど燃えるエネルギーもなく、ただ緩やかに鬱になっていく。
そして気付いた時には生きるエネルギーのほとんどを失っている。

果たしてどうにもできないのだろうか。
目に見えている未来に対して、何かできないのだろうか。
組織には向かない性格だということがわかっている。

何とかしたくても、元気が出ずに、何もできず、明日を迎えてしまう。
休日出勤で休日もなく、また平日を迎えてしまう。

苦しい悲しい虚しい。